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柏駅は地元のひとたちの誘致で作られた

2016年4月29日

常磐線は明治時代、日本鉄道海岸線として作られました。日本鉄道は半官半民の会社です。

路線は当初、千葉の流山を通る計画でした。これはいまのつくばエクスプレスのルートにほかなりません。流山には葛飾県庁が置かれ、物流の拠点でもありました。たとえば茨城の土浦で採れた農作物を霞ヶ浦の入口まで運び、そこから利根川を遡って江戸川に入れ、流山に到着させていました。さらに江戸まで運んでいたのです。

そのため、流山のひとびとは、鉄道が開通すると水運が衰退すると考え、鉄道誘致反対の姿勢でした。

これに対して柏では鉄道こそが発展に大きな役割を果たすとしてさかんに誘致運動を行いました。その運動を行った人のひとりが私の家内の母方にいたそうです。

このような事情で日本鉄道は路線を大きく東寄りに変え、松戸、柏を通ることになりました。

ところが鉄道が通らなかった流山の発展には陰りが見られるようになりました。周辺でも、いまの東武野田線が醤油の輸送用に作られたように、時代は大きく鉄道に傾いていったのです。慌てた流山は馬橋まで軽便鉄道を作りますが時すでに遅し。流山はおおきく取り残されてしまう状態が続きました。サンプラザ中野くんの「流山マイラブ」はそのような背景の中で作られています。

いま、柏は千葉県有数のショッピングタウンとして大発展を遂げました。明治時代、一寒村でしかなかった柏は鉄道のおかげでこんにちの姿となったのです。

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